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【全校】辰巳プールで最後の開催&【結果】チャンピオン誕生!!

ダイヤダッシュグループからは、12名20種目にエントリーダイヤ

(突破は22種目!一人につき参加できる種目数が2種目に伴いエントリーは20種目ですひらめき

【参加選手】※所属校、五十音順

三条校:清水海里選手、津端宏侑選手、津端舞選手、堀川煌選手、本間匠騎選手、皆川昂輝選手、山口修司選手

新津校:今泉悠成選手、神田行空選手、菊入實選手、渡部奏太選手

燕校:中山拓海選手

そして今回の大会はもう一つの思いがあります。

それは、多くの選手たちがこの東京辰巳国際水泳場で行われる大きな大会を目指していましたが、今回の春季ジュニアオリンピック大会を最後に辰巳プールが閉館することになりました。

ダッシュが最初にジュニアオリンピックに出たのが、1990年の春、中学2年生の刀根聡さんという選手でした。

刀根選手は小学6年生の頃、野球と水泳(ジュニアコース)を両立していました。野球少年だった刀根くんを桑原ヘッドコーチ(現弊社 代表取締役社長)がスカウトし、ダッシュの選手コースに入りました。

当時のダッシュは選手コースがなく、ヘッドコーチのスカウトから始まり、小学3年生~高校3年生までがひとつの班で練習。

そこから2年という時を経て、春のジュニアオリンピックに出場。その後、刀根選手は桑原ヘッドコーチやダッシュ仲間と濃い時間を過ごし、翌年の春季ジュニアオリンピックにも出場されました。

初めて出場したジュニアオリンピックの経験話は代々の選手コーチへと受け継がれています。刀根選手がダッシュのジュニアオリンピックロードをつくってくださってダッシュの今があります。刀根聡選手、ありがとうございます!

刀根選手が出場した時代のジュニアオリンピックは、春季大会が東京スイミングセンター、夏季が代々木オリンピックプールでの開催がほとんどでした。東京辰巳国際水泳場が完成した後は約30年間、この辰巳がたくさんの選手の憧れの場となっていました。

2023年夏季ジュニアオリンピックからは東京アクアティクスセンターで開催されます。

またこれから多くの選手たちの憧れの場となることでしょう。

それでは、今回出場の選手のみなさん!ダッシュ代表として思う存分ハッスルしてきてください手 (グー)ぴかぴか (新しい)

新潟からパワーを送りますexclamationがんばれ選手たち、ダッシュ魂double exclamationdouble exclamationdouble exclamation

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富士山レース結果ともう一つの物語富士山 5/4(木)20:15更新

ジュニアオリンピックチャンピオンが誕生double exclamationdouble exclamationdouble exclamationdouble exclamation

\\ダッシュ新津のスーパー中学1年生、菊入實(きくいりみのる)選手です//

菊入選手は、ダッシュ4人目のジュニアオリンピックチャンピオンです王冠

(初代は中島謙二選手、2人目:石崎慶祐選手、3人目:加藤吉浩選手、そして4代目:菊入實選手。中島選手、石崎選手、加藤選手は自由形での王者でしたが、菊入選手は初の平泳ぎでチャンピオンに輝きました!)

彼は、2歳11か月の頃にゆきんこ会員(兄弟姉妹限定の仮入会1か月会員)に参加しダッシュに入会。

当時は、涙なみだの日々。まだ幼稚園に入園していなかった彼は親御さんから離れたくないと泣き、1時間コーチに抱っこされて時間を過ごしていました。2回目は30分ほど抱っこしたのち、残りは自由に過ごし。3回目以降から段々と楽しめるようになっていき、年少の頃には浮けるようになっていたそうです。

そんな、彼は11・10級の背泳ぎクラスの時に一度、ダッシュを辞めたくなったことがありました。顔にお水がかかり涙を流し「もういやだ…」と言ったそうです。がんばり屋の彼は自分の胸に秘め、ひとりで乗り越えようとしたようですが、大きな不安は涙になり…その様子に気付いたコーチと親御さんの連携が乗り越えられた要因だったそうです。「がんばっていたこと、辛かったこともコーチが分かってくれていたことが嬉しかった。その時からより一層がんばるようになった。」と親御さんがお手紙に残してくださっていました。

時間が経ち、自身の得意分野となった平泳ぎクラスに進んだ彼。〝チャンピオンになるくらいだから、はじめからできたんでしょ?〟と思いますよね。いえいえ、そうではありません。コーチが平泳ぎ指導中に脚を広げることをジェスチャーで伝えると、彼もそのジェスチャーを真似をして手と脚を広げちゃう…そんなユーモア溢れる時間を過ごしていたそうです。

その後、幼児水泳発表会(MOVE・ダッシュ主催の幼児限定の発表会)に出場、関東幼児水泳大会(江戸川区主催の50m以上限定の大会)に出場し、選手コースに移行。小学4年生で初めてのジュニアオリンピック(以下:JO)に出場。初めてJOの標準記録を突破した彼は「JOって何?でもコーチが喜んでるから凄いことなんだな。う、うん、やったー!」というような表情だったそうです。

今回5回目の出場でのチャンピオンは、初回出場の時から狙っていた夢物語だったと関谷和明コーチが語ってくれました。

「10秒縮めれば、中学1年の春に優勝できる。そのために作戦をねった。まずは、自分が選手だった時のことを思い出した。恩師である桑原コーチ(現弊社 代表取締役社長)は、中1~高校3年生までの選手を一緒に練習させ、JOのチャンピオンを輩出した。それなら新津校にだって、菊入選手にだって、私にだってできる!!!」と情熱をもち、その思いに菊入選手も感化されたそうです。

情熱以外にも、菊入選手に刺激を与えたのが一緒に泳ぐ先輩たちです。先輩たちに負けじと泳ぐ気持ちも大きな要因だったとコーチは語ってました。全国大会に出場している先輩が菊入選手にターンを教えたりする普段は仲の良い仲間。しかし、そんな彼らもタイムを計るときにはライバル意識全開!全国大会に出場経験がある先輩たちの背中をみて「お兄さんたちについていけばベストがでる!」と、とにかくがむしゃらに泳いでいたそうです。水泳は個人競技と思われるかもしれませんが、同じ水の中で汗を流し、声を出し高め合っているのでチーム競技でもあります。〝チームの相乗効果〟が強くなる大きな秘訣かもしれませんね。

夢物語を、大きな可能性へと広げてくれた菊入選手。彼の素敵な笑顔は新津校のブログで掲載中です。是非ご覧になってくださいぴかぴか (新しい)

\\改めて、菊入實選手おめでとうございますdouble exclamation//

あとがき

今回、菊入選手のこれまでを語ってくれたのは、2歳11か月だった彼のはじめての担当コーチでもあり、現在の担当コーチでもある関谷和明コーチでした。

ダッシュには一会員一物語という言葉があります。

菊入選手の物語を懐かしみながら、そして笑顔で語る姿がまさしく〝一会員一物語だな〟と感じました。

ダッシュに出会ってくれた一人ひとりの水泳史を、これからも大切に丁寧に綴っていきたいと思いました。